地震こわい

ニュースでくりかえし流れる優太ちゃんの病室での映像を見ていて、せいちゃんのことを思い出した。網膜剥離の治療のため入院していたわたしと、全身に負ったケガの治療で入院していたせいちゃんは、病院の二人部屋で同室になった。そのとき4歳か5歳くらいだったせいちゃんと、10歳だったわたしは仲よしになって、よく一緒に本を読んだり絵を描いたりして遊んだ。病室には毎日せいちゃんのお父さんとお姉ちゃんがお見舞いに来ていて、ときどきわたしにもお菓子を分けてくれたりした。あるときわたしは、それを誰に聞いたのかは忘れてしまったけど、せいちゃんがたくさんの人が亡くなった飛行機墜落事故の数少ない生存者のひとりであること、そして250人以上の犠牲者の中のひとりがせいちゃんのお母さんであることを知った。ああ、だからお母さんはお見舞いに来なかったんだなぁと理解するのと同時に、こんなに小さくてかわいい男の子がずいぶんこわい目に遭ったんだな、とか、わたしが今自分のお母さんに死なれてしまったらどうだろう、とか考えて、ひどく悲しくなったのを覚えている。あれから10年も経ったけど、せいちゃんは今どうしてるんだろう。元気で暮らしてたらいいなぁ。